ぜんぶ盛り

推しへの愛が素直。

人生の最推しがポルノグラフィティなのでひとしきり語らせてくれ。

タイトルがすべて。

今後、ポルノグラフィティにまつわる歌詞深読みとかライブレポとか書きたいので、そのための前置きっていうかエクスキューズっていうか。

 出会いとかファンになったきっかけとか初ライブとかファン歴とか。

ポルノグラフィティにまつわる私の基本スペックの但し書き。

クソ長い。

 

 

 ファンになる前から存在は知ってた。

たぶんいとこの家でGTOアニメの「ヒトリノ夜」観たのが出会いではあると思うんだけど、当時小学校上がったかそこいらで記憶にない。

 

自分で言及したのは「アゲハ蝶は明るい気分になるから好き」と言っていた友人に「『できたら愛してください』って言ってる歌が明るい???」と喧嘩売ってたのが最古の記憶。当時小3くらい。すでに歌詞厨の片鱗が見えている。

 

私と同じく90年代前半生まれのポルノファン沼落ちきっかけ率第1位は鋼錬のメリッサだと思ってるんですけど。

私ここ通ってなくて。鋼錬見てなかったんで。

ただMステSPで森ビルの屋上で歌ってるバックにめちゃめちゃ綺麗に満月が見えるっていう神懸かり演出の回は印象に残っている。

 

当時パチンコに行っていた父が景品でCDを持って帰ってきてくれるということがたびたびありまして。

ここで、私が思う90年代前半生まれのポルノファンきっかけ率第2位、赤/青ベストが出てくるんですけど。

父、赤ベストを持ち帰る。

この時点で、「ポルノグラフィティ」という名前と楽曲が一致し始める。

あとブックレットで「この林檎食べてる人イケメン」となる。ただし個人名はわかってない。

ギリギリ小学生か中学入りたて。もうすぐ思春期。

 

アルバムの中では「ヴィンテージ」が一番好きだった。

「ヴォイス」も歌詞を熟読していた。みんな大好きCメロの表現に私も例にもれず感動していた。

その後、父がどういう理由でチョイスしたかは知らないが東京事変持って帰ってきてわりと性癖に刺さってそこそこハマったのはまた別の話。

後に父が青い方も持って帰ってきて、「オレ、天使」「パレット」あたりが好きになった。「カルマの坂」はやっぱり衝撃的だった。先に歌詞カード読むタイプなので、文字だけで完結してしまえるほどの文章を音楽で表現することが衝撃だった。

 

好きな歌手と聞かれたら真っ先にポルノグラフィティと答えるようになった。

でもここに至ってなお、決定的にハマってはいなかった。

 

 

音楽自体は好きだった。

母がQUEENのファンで、車の中では主に洋楽が掛かっていた。シンディローパーとかBEATLESとか。イエローサブマリンキラークイーンが好きでした幼き私。

大好きだった天才てれびくんのMTKという音楽コーナーの原曲を母の手持ちから聞かせてもらったりしていた。

父が持ってくるポルノ以外のCDもいろいろ聞いていた。ORANGERANGEとかそのへん。流行ってたやつ。年に2、3枚とかだけど。今思えばなぜ父が私にCDをくれていたのか謎である。父自体はどうやらユーミンが好きらしい(カセット持ってたから)が実家で聞いたことない。

Mステとか見るのは好きだった。定期テストの勉強のため、という口実で夜更かしし始めたのもこのころである。CDTVJCDとの出会いである。

あと関係ないけど夜中のアニメシャワーの時間帯に地獄少女見てしまったばかりにヲタク本格的にこじらせた。

 

中学生の私とポルノグラフィティの関係に訪れた転機。

CMで流れた「ネオメロドラマティック

www.youtube.com

 

衝撃。

なんだこれ。

え、めっちゃカッコイイ。なんかよくわかんないけど圧倒的に耳に残る。

目を凝らして、下の方に出てくるアーティスト表記を探した。

 

ポルノグラフィティ

 

まっじか!!!ポルノか!

 

初めて自発的にCDを買いに行きました。

一旦歌詞カードを読む。

これすべてのCDでいまだにやる。聞く前に歌詞カード読んでニヤニヤするやつ。

ネオメロドラマティック」意味が分かんないなにこれどういうこと。

デッキにCDをセットする。

再生ボタンを押す。

 

♪テケテケテケテッテテ…

キュ~~~~~ゥウ~~~~~ウ~ン‼‼‼‼‼

 

開始2秒。

イントロのギターで完落ち。

 

マジで「雷に打たれた」レベルの衝撃が全身に走る。

何が起きたのかわからない。

直後にパッキパキに言葉の詰まった歌詞が流れ込んでくるんだけど受け止めきれない。

まってまだいまのギターで痺れてる。

何回かネオメロだけ繰り返して聞く。

当時はシングルを買ってソニーだかのHPに行くとPVが見られるという仕様だったんです。

そこで観たPVにも衝撃を受ける。

えっえっ、カッコイイなにこれ………。なんか光がビュンビュンしてるしよくわかんない空間さまよってるしっていうかこの衣装カッコイイしギターってこんなカッコイイ楽器だったんだていうか影なってあんま見えないけどめっちゃイケメン………え、なにこれ‥‥‥‥。ていうか今の私マジであのギターから出てきた光に全身貫かれてるからこのPVやべぇ……私じゃん………。

 

この瞬間がポルノグラフィティにどハマりした瞬間です。

ネオメロドラマティックと、そのPV。

は~公式YouTubeで見直したけどくっそかっこええわ……。

 

www.youtube.com

 

 

ここで私の人格形成に大きな影響を与えた一人の人物が登場する。

叔母です。

母の妹です。

ほんっとに私この人から文化的な資本の提供をたくさんしてもらっておりまして。

幼少期、会うたびに「世界の名作」みたいな児童書をくれた。

趣味が読書になったのは完全に叔母のおかげだし、この読書経験がなければ今の私は存在していない。

ちなみにこの叔母、及川光博氏のファンだったりジャニオタだったりここ数年はKポペンだったりする。

私の「オタク」の素養は叔母から受け継いでいる気がしてならない。アイドルにハマったことはないけれども。

一度、相棒の神戸くんがカッコイイという話をしたら「もういらないから」ってミッチーのCDをくれたんだけど中学生だかそこいらの私には初期のミッチーはまだ早すぎたので「うぅん…」となってしまった。

なんでアルバムの中に及川光博伊武雅刀がお医者さんごっこしてる音声が入っているんだ……????当時から腐女子だったけど意味がわからなくて困惑していた。

神戸くんとミッチーは別物なんだな、ということだけがわかった。自ら動画を検索してワンマンショー行きたいとか言い出すのはそれから10年くらいたってからのことである。

あとキンキキッズのアルバム借りたり、コンサートのお土産に光一くんの生写真とかタキツバのクリアファイルとかもらったりしていた。CDは当時カセットテープにダビングしていた。平成でも現役。ダブルデッキラジカセ。

 

閑話休題

そんな叔母にどういう経緯かは忘れたけどポルノが好きという話をしたようで、CDを貸してもらった。foo?と雲民。

「グァバジュース」と「ビタースイート」と「ニセ彼女」のカッコよさにシビれる。

お察しの通りジャカジャカ系ロックが好きです。

雲民はロック寄りの曲が多くて本当にカッコよくて延々聞いてた。

「n.t」の歌詞で多感な思春期の私は心臓を抉られた。

「ラスト オブ ヒーロー」の歌詞がグサグサと刺さった。こんな表現の仕方ある?

カセットテープにダビングして、テープがやわやわに伸びるまで聞いていた。

ちなみに叔母は何回かライブ行ったことあったらしく、Tamaちゃんがクールで好きだったらしい。ジャニオタなのに昭仁さんに行ってないあたり謎である(偏見がすごい)。あと雲民だと「ハート」が好きだと言っていた。

 

そんなこんなでポルノにどっぷりハマる私。中学生。

当時、電話回線でブロードバンド接続していたPCの検索窓に「ポルノグラフィティ」と入れて公式サイトで情報収集したり、ファンサイトをまわって過去の発言やライブレポやラジオレポやらをみたりする日々。(平成二桁です)

 

転機はまたしても他人からもたらされる。

 

同じ部活の友人(ジャニオタ)からの一言。

 

「そんなに好きならコンサート行けば?」

 

さすが現場主義のジャニオタ(当時はエイターとハイフン掛け持ち)(今はハイフン(上田担)メインに関ジュもお好き)。

ちなみに友人の母上もジャニオタ(スマオタでいらっしゃる)なので、英才教育がなされている。

「去年くらいからずっと好きって言ってるしなんで行かないの?」という友人に

「えっ、でもお金とか…チケットの取り方も知らんし…」と未知の領域にビビる私。

数日後。

「ハイ」と渡された切り抜きには、大阪城ホールでのコンサートの一般発売日、電話番号が書かれていた。たぶんぴあ。

自宅に持ち帰り、母に参戦の同行を頼み、許可を得たのち、パソコンで「ポルノグラフィティ ライブ」で検索したり「ライブマナー」で死ぬほど検索した。

貧乏な田舎の中学生なので、DVDなんて買えなかったのだ。ちなみに雑誌も買えなかったのだ。悲しい。なぜか図書館がおいてくれていたPATIPATIだけが心の支えだったのだ。

 

発売日当日、家族総出で電話を掛ける。

総出といっても、私は子機を握りしめ、唯一携帯電話を持っていた父と二人だが。

繋がらない繋がらないと焦っていたら、

父「なんか言うてるけどどれや!?」

バリバリに混乱したままなんかしらんけど無事チケットを確保した。

 

8th LIVE CIRCUIT "OPEN MUSIC CABINET"

2007/04/29(Sun) 大阪城ホール

立ち見

 

人生で初めてのライヴ。

初めての生ポルノグラフィティ

近くにいたお姉さんにグッズ売り場とかを教えてもらい、パンフとCDケースを買う。友人へのお土産にアンプのバッグを買う(エイトの47都道府県ツアーのファイルとお土産交換した)。母、ツアーロゴTを買う。

その場でファンクラブに入会する。

なんでかは覚えてないけどグッズ買ってそのままFC入会した。

前々から決めてたのかその場の勢いかすらもう覚えてないけど入会した。

フラッディのクリアファイルをもらった。

学校に持って行って即行使い始めた。わりとがっつり使ったのでボロボロになった。今思えば大事に保管しておけば良かった。

立ち見の列に並んで、後ろのお姉さんからハイチュウをもらった。あついですねー、なんて言いながら。

ちょこちょこしゃべりつつ待っていると、列が動く。

開場?でもまだ時間になってないぞ?

テントの下に机が置いてあるのが見えた。なんだ。

 

スタッフさん「機材席が空きましたので、チケットを交換させていただきます(ニュアンス」

 

えっ

 

その時の私は「あっ、椅子あるとこで見れるんや…ラッキー…!立ち見よりは近いだろうし…‼‼」くらいの気持ちだった。

 

渡されたチケットを見る。

 

えっ

 

えっ!?

 

スタンド 8列

 

えっ!?!?!?

 

マジで?

 

僥倖……。

しかも上手側…。

お察しの通り完全に晴一さん側に落ちているので嬉しさ半端ない。

ちなみに母もブライアン・メイが好きだそうなので、ギタリストに落ちがちなのは遺伝。(他のバンドでもギタリスト好きになりがちな娘)

開場してから開演までの景色がいまだに脳内にこびりついて離れない。

ツアー幕で覆われたステージ。

音響チェックで楽器が鳴るたびにソワソワする。

客電が消える。

幕が落ちる。

ステージにポルノグラフィティ

 

めくるめく、っていう言葉がぴったりくる、ステージ。

あっ、あれがおなじみのサポメン!とかなりながら。

(思えば「おなじみの」メンバーで見れたのこれ最初で最後じゃないか私。ラッキー。)

もう、ライヴって、こんなに楽しいんだ、こんなに幸せな空間、時間が存在するんだ、って衝撃を受けた。

叫んだり暴れたり跳んだり腕振ったりしながらステージを凝視して全身で音を浴びる。

楽曲を体感する。

聞いたことない曲もあったけどその曲がかっこよすぎてすぐ調べてCD買った。PRISON MANSIONです。

これがEverybody Say! Fu-Fu-!!

これがアンコールラスト1曲ジレンマ!!!

あっ、昭仁さんm-FLOODおどってる!!!!!

あっ、晴一さん歌う!!!!!

っていう、「これがあの有名な!」っていうのと衝撃の初体験をいっぱい盛り込んであるライヴでした。

 

その後、順調に愛を深め

テレビに出るとなればリアタイ実況&録画し

CDがリリースされれば買い

歌詞カードを熟読し

アルバムのスペシャルサンクスを読んでニヤニヤし

ラジオを電波の許す限り聞き

雑誌は財布が許せば買い

ギターの人が小説を出版すれば読み

歌詞を提供すれば曲を聞き、Buzyを好きになり、奈央さんを現在に至るまで追いかけ、

ツアーも高校受験とかぶってたポルきた以外は

ロイス―大阪初日

∠大阪初日

ぱのよん追加名古屋

LEMF城ホ2日目

ダイキャス追加城ホ初日

BE鹿児島福井

…と一通り参戦し

大学のサークルでラバッパーの友達ができ

一緒にBBQ初回参戦し

つま恋ポルノ丸も

幕張ロマポルワンダーも

ツアーも卒業までは一緒に通い

小3の私がアゲハ蝶の歌詞で喧嘩ふっかけた友達と

惑ヮ不神戸

THE WAY初日

社会人なってからのツアーを一緒に参戦し

FCUWも4、5は参戦し

(東京ロマポルは高校生だし遠征だったから諦めたけど当時の私に「お金なら10年後の私がなんとかするから、とりあえず申し込みなさい。」と言ってあげたい)

しまなみロマポルに応募する現在に至る。

 

ここ4年くらい、楽曲如何じゃなくプライベートに余裕がなくてカフェイレあまり聞けてなかったりしたんですが、BEツアーが良すぎてまた聞くようになりましたストリーミングの民です。

 

愛と呼んで過言ではないと思う。

永遠と呼んでしまえると思う。

恋愛をしたことがない私からすれば人生で最愛の人。

重たいめのラバッパー12年生。

人生の根幹にポルノグラフィティが携わっている。

思考、志向、嗜好にポルノグラフィティの欠片が含まれている。

特に新藤晴一成分強めに効いてる。

 

最近は私より先に死なんといてほしいという欲求が強めです。

ギターやマイクやピックになるよりは、晴一さんのワウペダルになって踏まれたいです。次点でトーキングモジュレ―ターになりたいです。

 

毎回記事の締め方がわからないのはMCラビリンスにハマりがちな彼らのファンだからです。

 

今後も強めに推していく所存です。