ぜんぶ盛り

推しへの愛が素直。

ミュージカル「生きる」3

小説家の話しかしてない。なぜなら推しだから。

めっちゃ贔屓目入ってる。なぜなら推しだから。

妄想過多。

 

 

え、どこから書いたらいいですか?笑

良い作品で良い役もらっておたくは嬉しいですってとこから?←

 

開幕前のインタビューで「隙あらば入水しそう」って言われてて爆笑したんですけど、入水はしなさそうだな。薬の過剰摂取はしてそうだけど。

でもまあ生への執着が薄いとは思います。

一幕時点での感想は、「誰かから寝取った情婦と心中しそう」でした(ひどい

そうでなくてもロクな死に方しなさそう。ヤクザと揉めてゴミ捨て場でボロ雑巾みたいになって死ぬとか、いかがわしいお店の近くで錯乱した見ず知らずの男に刺されて死ぬとか←

うっすらと破滅を羨んでいそうな。劇的な結末を迎えたがっていそうな。

最後まで観ると変わるんですけど。

は~~~~~小西さんがやると、なんであんなに世界への絶望が深いというか厭世的というか希死念慮が強いのか………。

睡眠薬を常用している設定への説得力が当代随一の役者、小西遼生…。←

理想も目標も何もなくて、死ぬまでの暇つぶしだと思って生きてるから快楽主義っていうか刹那的に生きているしこの世に未練がない。

彼をつなぎとめるものはこの世にはないからこそのあの浮遊感根無し草感。

たぶん花街で生まれたし母は芸妓だし父の影は無い。天涯孤独で家族というものから縁遠そう。

彼の抱える憂いというか闇は物心ついたときからのもので、戦争が、とかあまり関係なさそう。

他人に干渉するのもされるのも嫌いっていうか、個人対個人としての関係性を築いた経験が少なそう。

 

小説家として身を立てる以前はどうやってしのいでたかって熟考してたんですけど、パッと思いついた「お姉さんに養ってもらってた(ヒモ)」がめちゃくちゃしっくりきてしまって納得した。顔が良いばっかりに…!!!

お姉さんに限らずなんかふらふらしてたら拾われて、っていう生活をしていそう。野良猫かよ。

 

小西小説家が三文小説を書くのは「高尚な文学じゃなくてこんな俺が書いているこんな低俗な小説を民衆は好む」っていう、世間へのアンチテーゼなのでは。生活のためでも書きたいものがあるわけでもないのでは。

観劇当初は「ヘミングウェイみたいになりたかったフィッツジェラルドっぽい」「本当は純文学や重厚な大河小説が書きたいけど売れる方を選んでる」と思ってたんですけど。

彼に書きたいものは、目標は、理想は、あるのか?ってなって、たぶん世界への当てつけっていうか腹いせに書いてるんじゃないかと思うようになった。

出自から地続きの絶望を感じたっていうか、「生まれ育ちがまともじゃないから、まともには生きられない」「こういう生き方しかできない」と思ってそう。お天道様の下を歩ける身分じゃない、そんな資格はない、そうやっていままで生きてきた、それが俺にとっての普通。って感じ。

 

そんな(どんなだ)小説家が、勘治と出逢って、変わっていくわけですよ!!!

ここまでほぼ全部妄想ですけど!!!!びっくりするわ!劇中では勘治と出会う前の彼についてまったく触れられていません!!!!!!!ハハッ!!!!!!!!

 

 いやまあそれでですよ。

最初に小説家が歌う曲の中で、「あの出会いがこんな俺をめざめさせた。だから今ここにいる」っていう歌詞があるんですけど、小西さんの小説家は観終わった後そこの説得力がすごい。

「だから今ここにいる」。

さきほどからさんざんっぱら書いてますけど、ろくでなしのこの男が今、ここにいるのは、完全に渡辺と出逢ったから以外の何物でもないんですよね。

性根は変わっていないけど、書くということに意味を持ちつつある。

 

初めて渡辺と出逢ったときの「面白い!」が完全にデスノリュークと同じテンション。人間っておもしろーーー!!じゃん。

「初めてみた」「異分子」として面白がっている。人間としてではなく、状況の珍しさへの興味。

胃がんで死にそうなのに酒を飲み睡眠薬を持ち歩く、真面目を絵にかいたような市役所勤めの真人間。っていうコンテンツとしての「面白い」。

そんな人間に「金の使い方を教えてくれ」と請われて、夜の街を案内する。

ここの2人の対比が良い。

遊技場でパチンコから始まり会員制バーっぽい飲み屋、果てはストリップにと、歓楽街を連れまわす小説家。

それを楽しめず(本気で何が楽しいのか理解できなさそうな様子だった。)、夜が更ければ深まるほど沈痛な面持ちになっていく渡辺。

最終的に、耐えきれなくなった渡辺はうずくまってしまうんですが、その渡辺から預かった大金をぽいっと投げて寄越す小説家の、憐れむような蔑むような褪めきった目!!!!

小説家からしたらこの欲望と悦楽にまみれた喧噪がこの世における楽しみだと思っているので解せないし、勘治からしたら余命いくばくもなくて人生に対して絶望すら感じているのに突然これまで縁のなかった夜の街を連れ回されても何も見いだせない。

これまで違う世界で生きてきた二人だから仕方ないけど。

このときの小説家の「お前じゃなかった」「互いに選ばれなかった」みたいな感じなんなの。

そしてこの時点では小説家はこのまま煙のように夜の街に溶けて消えてゆきそう。一夜の夢みたいに。それこそメフィストフェレスのような。

 

ちなみに「人生の主人になれ」って歌う小説家さんも影がありすぎて自分の人生の主人にはなっていない気しかしない。なんなら「小説家」っていう名前のない概念みたいな存在だからか、幕が下りてからも「ストーリーテラー」としての役割を今後の人生でも担っていくのでは…自分が主人公にはなろうとしない、なれないと思っているのでは…って感じました。

 

で、その後渡辺はとよちゃんと出会って二度目の誕生日を迎え、小説家はストーリーテラーとして登場はすれども他の人とは関わらない。目が合わない。

その間わりと好き勝手している小説家さんwww

渡辺の席にある、とよにもらったウサギのおもちゃを触る→おもちゃ動く→両手ではしっと上から抑える→ぱっ、て手をはなす→再び動き出すおもちゃ→アワアワする小説家→えいっ!と棚に放り込んで強制終了、素知らぬ顔ではけていく、の一連の流れめっちゃかわいかったし面白かったwwww

あと勘治が公園の提案書をもっていくシーンで、助役がゲス話してる輪に入っていく→へら~って一緒になって笑う→瞬間、すっと凍てつくような冷めきった眼差しで射るように見下すようにして輪から離れる、の一連のくだりゾッ…としたうわあ。

ちなみにこの目線の冷めっぷりを見て「花街生まれ設定?」って思ったのでした。権力者が仕事しないクズさじゃなくて働いている女の子をあげつらって下世話な笑い話にしていることへの蔑み。

 

2人が再会するのは、公園の建設予定地。

助役と組んで赤線(売春宿的な)を作ろうとするヤクザたちに勘治ととよが絡まれるところ。

関係ないけど、「(赤線が)できたら真っ先に招待しますよぉ!!」ってヤクザに言われる小説家さんはぜったいエロいやつ書いてますよね←

このシーンで、勘治の「公園を作る」っていう、それが残りの人生全部掛けてやりたいこと?っていうような地味で金にならない決意を聞くわけですよ、とよと小説家が。

ヤクザに目をつけられてボコられようと助役が受け入れなかろうと、揺るがないほどの決意。

これミュージカルなのでその決意というか思いの丈を勘治が歌うんですけど。

小説家の手を握って。目を見て。歌うんですけど。となりに若くてかわいい女の子がいるのに。小説家の手を握るんですけど。渡辺は。(しつこい

ここで完全に絆されましたっていう音がする。小説家から。

立ち上がろうとしてふらつく勘治に肩を貸して「しっかり掴まれ!」っていう、この瞬間。

一幕であまりにも別世界の人間同士だったのが、人生の最後の仕事として公園をつくるっていうあまりにも地味な仕事に命を掛けることにしたその熱に。

そこに関わろうとする、なんの得にもならないけど手を貸してしまう、っていう瞬間ですよ。それが伝わる台詞だし言い方だし。

一幕で煙のように夜の街に溶けるろくでなしやさぐれ根無し草浮遊系メフィストフェレスだった小説家が、地面に足をつけて現実の世界に降りた瞬間ですよ。何を言ってるんだろうか。でもそういうこと。

 

ボロボロの渡辺を家まで送り届けて、(そりゃあ光男からしたら見るからにろくでなしの男と突然父が入れあげている素性の知れぬ若い女が自宅にやってきたら怒るわ)そのあとも気にして親子の会話を立ち聞きしたり。

助役とヤクザが密会しているところ(勘治がトイレまで迫って来るのめっちゃおもしろかった市村さん絶妙すぎる)の写真を押さえて脅しのネタにするっていう勘治が絶対にできない仕事を肩代わりしてやる程度には人生を変えられている。ここが小説家の「自分の人生を生きてないポイント」なんですけどw

 

極めつけはやっぱりラスト。

勘治の葬儀のシーン。

役所の面々が、勘治の命を掛けた最後の仕事を自分たちに都合のいいように修正ようとする中に、(ちゃんとした参列者から見たら)縁もゆかりもないどこの誰とも知れない着流しの男が突然やってきて啖呵切るんだからもう。

あそこ、それまで飄々として退廃的に笑うか勘治の言動にちょっと面食らうか、くらいの、自分の感情をあまり表出させない掴みどころのなかった小説家が、めちゃくちゃ感情をもって、ちゃんと怒っているのでびっくりした。あと普通にちょっと怖かったw←

挙句、喪主(だよね?)である息子を連れだしちゃうんだから。

勘治本人も、劇中で示された以上の小説家の素性は知らないだろう。

それでも、死んだ後の親子関係まで面倒みてやるほど、勘治の持つ最後の輝きに魅せられて、人生が変わったんだろうな。

 

本筋とは関係ないですが、あの市原隼人のパンチを躱して片手で殴り飛ばす小説家先生かっこよすぎて脳がストーリーから脱線した。躱した瞬間帽子が脱げるんですけどそれもまた見事で、「そろそろアクション物やってくれないかな小西さん…」って思った。煩悩。

 

あの日公園でひとり雪の中ブランコにのりゴンドラの唄を歌う勘治を見て小説家は何を思ったのだろうか。(小説家が見つけたときに歌ってたかは定かではないが。)

勘治の人生の最後の瞬間に立ち会ったからこそ、「あの出会いが偶然なはずはない」って歌う、幕開けのシーンに説得力が出る。

だからこそ、小説家の生き方、人生に対する目線が変わったんだなと一幕と二幕の違いを感じるし、いままでよりは生きることに意味を見いだせたんじゃないかな、と思える。

「俺が書かないとなかったことになる」っていう危機感から勘治の物語を、感動重厚ノンフィクションじゃなく、三文小説家らしくエンターテインメントとして書いたと思う。なぜなら「俺の小説」とはそういうものだから。民衆に読まれてナンボの物語であるから。

これだけ勘治の肩を持ちながら、ここまで深入りしてもなお、自分の人生でさえどこか冷めた距離感でもって接するけど、それは以前のように意味を感じないからじゃなくて、自分がそのように生きることに意味を見出したからであるような。

人との出会いとかそこで経験したものを筆に乗せて言葉にしていくことが彼の生き方なんじゃなかろうか。

 

ヤクザと助役に喧嘩売ったけど歓楽街でこれからも飄々と立ちまわって、勘治の作った公園たまにのぞいたりして、あの町で過ごすんだろうか。

それとも、あの運命の出会いを物語として昇華して、彼もまた「新しい時代」に向かっていくんだろうか。

 

一幕の段階ではろくでなしのやさぐれ小説家だしストーリーテラーだから自分の感情をあまり出さないし、すこぶるカッコイイ色男だけど感情移入するとかではないかなーとか思ってたんですけどいやはや。めちゃくちゃ考える余地がある。

コルクを口で開けるとかお留守番代理店主やたらこなれてるとか渡辺が出した睡眠薬にキスするとか密会現場での「新聞社へもってけ!」だとかウサギのおもちゃでワタワタするとかあの目線とかあの言い回しだとかバーでマダムに2万円置いていく(飲んでないのに。しかも人の金。)とかお葬式シーンでやたらおみ足出る座り方だとかダンス踊れてないただはしゃいでるだけとか、カーテンコールでみんなと横に並ぶと(縦に長い……)ってなるとか二幕最初の持て余し感とか、ツボめっちゃいっぱいあった……←

は~~~役者としての小西さん生で初めて見たんですけど、めっちゃくちゃ好きです…。

ライブだとやっぱり予想を超えない範囲での言動になるんですけど、(技術どうこうじゃなくて、こう、人間性が。)、まったく違うキャラクターになり、新たな面をたくさん見られて、っていう、いろんな人とのケミストリーでこそ現れる魅力、みたいなことがすごかった。

出てる作品の打率はめちゃくちゃ良いと思うので、もうちょっと…打席に…立ってほしいな~、って……めんどくさいオタクはおもうのですよ………。

 

CDもWOWOWでの放送もある(未加入ですけど←)ので、首をキリンのごとく長くしてお待ちしていようと思います。ほんと良かった。